明治天皇 伏見桃山陵の麓にある、乃木希典と静子夫人を祀った京都市伏見区の「乃木神社」

神社仏閣めぐり
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城南宮で参拝及び「しだれ梅と椿まつり」を見た後、大手筋で先に門扇で昼食を取りました。その後、ずっと前から気になっていた神社へ向かうことに。

気になっていたのは「乃木神社」。明治時代の軍人「乃木希典(のぎまれすけ)」と奥さんの「静子」が御祭神となっている神社です。神社から少し離れた通りは良く使うのですが、その通りに”乃木神社”と書かれた看板があり、あの乃木希典の神社なのかな?と思っていました。

乃木希典は明治時代の陸軍軍人で日露戦争では第三軍司令官として旅順攻略戦や奉天の会戦などに参加した人物。明治天皇崩御の際にご夫婦で殉死をされました。それに強い衝撃と感銘を受けた「村野山人(むらのさんじん)」(鉄道関係の設立や取締役を歴任した人物)が全ての役職を辞任し全財産を投じて建立されたとのこと。建立は大正時代なのでまだ新しく、伏見桃山陵(明治天皇陵)の麓にあります。

 
車で向かったのですが、駐車場は神門より少し南に下ったところに入口があり、そこに入ると参拝者用の駐車場が5台分ありました。この日の時点で⑫⑬⑮⑯⑰となっており、他は契約駐車場なので停めると契約している方に迷惑となります。空いていない場合は離れたところのコインPに停める(ちょっと歩いてという場所には無い)ことになりそうです。

20分以内までは無料となっていますが、それ以上は1時間ごとに100円をここへ納めます。私自身は宝物館と内苑には入らなかったので20分で十分に回ることが出来ましたが、どちらも見て回る場合は20分は超えそうです。

 
神門」です。ここに参拝の注意書きがあるので、良く読んでから参拝してください。

 
手水舎はカラスなどの影響で現在は使用できないそうです。結構前から使用出来ない状態にも見えます。

 
乃木将軍景仰の碑」です。大阪の一女史が自宅庭にて顕彰していたものを、こちらに寄贈されたものとのことです。

 
ではこの参道を歩いて先に進みます。先に行くとちょっと見にくい場所に「宝物館」があったため、今回は見逃してすっ飛ばしてしまいました(笑)

 
乃木大将が「第三軍司令部」として指揮を取っていた時に日常生活を送られていた建物。村野山人が現地に行って建物や土台をそのまま移築したものだそうです。

 
長府乃木邸です。乃木大将が少年時代に住んでいた家を復元されたものですが、この内容を読んでいると裕福では無く、非常に優しい少年だったのが良く分かりますね。中にある像は少年時代の乃木大将と父親と母親とのことです。

 
さざれ石です。さざれ石とは長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムなどが埋めることによって、ひとつの大きな岩の塊に変化したものです。建部大社にもさざれ石がありましたが、そちらよりもサイズがかなり大きめ。

 
御神水「勝水」です。一度は周辺の開発の影響で枯れてしまった様ですが、平成18年に再度掘削することにより60年ぶりに復活しました。またその横には日露戦争を勝利に導いた乃木大将にあやかり、「全てに勝ちま栗」と書かれた祠も。ちょっとダジャレっぽいですが絵馬も栗となっています。

 
拝殿です。この奥に本殿があります。両脇には馬の像があり、乃木大将の愛馬の様です。

 
山城ゑびす神社です。元々は乃木大将の奥さん、静子夫人を祀られた「靜魂神社」として建立され、その後、七福神が合祀。さらに平成18年には本殿の方に静子夫人だけ移されたため、山城ゑびす神社になったとのことです。ここにも鯛の像があり「幸せに成り」と書かれていますが、これもダジャレですね(笑)

 
こちらの御朱印はたくさんありますね。月ごとの限定御朱印などはカラフルなものが多いかと。基本は書き置きとなるようですが、通常の御朱印は直接書いてもらうことが出来ました

 
乃木神社と山城ゑびす神社の御朱印です。こちらは直接書いて頂いたもので、カラフルさは無いですが個人的には好きですね。

 
伏見区にある乃木神社を今回は参拝してみましたが、「全てに勝ちま栗」から分かる様に勝負開運のご利益がある神社でした。他に幸せに成り(鯛)など同じくダジャレの様な部分もありますが、乃木希典という人が何故当時の人々に死後祀られる様になったのかを知るきっかけになるかもしれません。
 
※これらの情報は記載時点のものです。

住所 京都市伏見区桃山町板倉周防32
駐車場 あり
Webサイト http://nogi-jinja.jp/web/

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