この日は休日でしたが出勤。朝10時に現場に入る予定だったので、現場近くにあるお寺に参拝してから行こうと思い、こちらへ朝9時過ぎに向かうことにしました。
お寺に参拝するにあたり駐車場は無い様だったので、近くのコインPを探しましたが、斜め向かいにネットカフェ?の駐車場がコインPになっていました。ここのコインPは平日は30分150円と安いのですが、土日は30分300円となる様子。
他に無いのか調べたところ、隣にある「TOKIMEKI駐車場」というコインPがありこちらは土日でも30分100円と安い。最大料金は平日のみの様ですが、それほど長く停める訳ではないので問題なしと判断しこちらへ入庫することに。
ただこの駐車場、旧東海道側(この道も9時までは車両は入れなかったと思います)は出口となっており駐車場内は一方通行。入口はときめき坂の方から入る形となっていました。ではこちらへ停めて目的のお寺まで歩いてスグに到着。
義仲寺
こちらは朝9時から入ることが出来るので9時過ぎに到着。名前からも分かる様に木曽義仲公の御墓所となっているお寺です。
木曽義仲(源義仲)公は平安時代末期の信濃源氏の武将で、あの源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる人物。平氏討伐のために京都に入ったものの、京の治安を悪化させたりと評判が悪く、後白河法皇との関係も悪化した後に頼朝の命で範頼・義経が追討。最終的に宇治川や瀬田の戦いに惨敗して近江国粟津で討ち死にしました。その没地近くに開かれたのがこの義仲寺。かなりはしょった内容ですが、私の認識はこんな感じかと。
ではお寺に入ろうと思いますが、山門の横に「巴地蔵堂」があります。巴御前を追福(故人の冥福を祈る)するものです。巴御前は義仲の妾のひとりで女武将と伝えられていますが、本当のところはどうなんでしょうか?
では山門をくぐって右手の方に寺務所があり受付で拝観料を支払います(大人300円、中学生150円、小学生100円)。この時にパンフレットを頂き、境内の説明も受けました。
パンフレットには境内の見取図があるので、これを参考に回ります。
まず気付くのは境内のあちらこちらにある句碑。境内全体にかなりの数がありました。先ほどのパンフレットに案内があるので、ご興味のある方はひとつひとつ確認されるのも良いかもしれません。
史料観です。掛け軸など様々な史料が展示されていました。撮影禁止かどうかは確認出来ませんでしたが、こういった場所は禁止の場合が多いので撮影は控えました。
朝日堂です。平家物語での木曽義仲公は朝日将軍(旭将軍とも)と呼ばれているのが由来かと思われます。義仲寺の本堂で義仲公とその息子の義高も木像が収められています。
巴塚です。巴御前の塚ですが、木曽義仲公の公墓のスグ横にあります。
松尾芭蕉の句碑です。私でも聞いたことのある句ですね。「古池や蛙飛こむ水の音」と「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」です。
義仲公墓です。木曽塚とも呼ばれている様ですが、最初は柿の木が植えられており、その後「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がすえられたとのこと。
芭蕉翁墓です。生前より芭蕉は義仲の隣に葬って欲しいと言っておられ、大阪で亡くなったあと弟子達にここまで運ばれ葬られたそうです。
翁堂です。明和六年(1769年)に再興。しかし安政三年(1856年)にもらい火で焼けてしまった様ですが、安政五年(1858年)に再建されました。
正面には芭蕉翁座像があり、左右には三十六俳人の画像、天井には伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の四季花卉の図があります。しかし安政三年に焼けてしまったので、現在ある画像は明治に奉納されたものとのことです。
木曽八幡社です。義仲寺の鎮守。
無名庵です。昔も句会がさかんに行われていた場所ですが、現在も一般の人でも利用出来るとパンフレットに書かれています。
御朱印も頂きました。3種類あり、すべて書き置きでの対応でした。右から「朝日将軍」(木曽義仲)、「巴御前」(巴御前)、「正風宗師」(松尾芭蕉)となっています。
今回は義仲寺に来てみましたが、一番気になったのは何故、松尾芭蕉翁が木曽義仲公の隣に葬って欲しいと言うほど感銘を受けたのか?というところ。そこまでは調べていませんが、巴御前もそうですし木曽義仲公はそれほど魅力のあるる人だったのかな?ともっと掘り下げて調べると色々と魅力が出て来そうにも思えました。
※これらの情報は記載時点のものです。
住所 | 滋賀県大津市馬場1丁目5-12 |
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電話 | 077-523-2811 |
拝観時間 | 9:00~17:00(11月~2月は16:00まで) |
駐車場 | 無し |
定休日 | 毎週月曜日 祝日、振替休日および4月・5月・9月・10月・11月は開門 |