源頼政が鵺退治で祈願した、街中にポツンとある「神明神社」

神社仏閣めぐり
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ちょくちょくと神社仏閣巡りをしていましたが、更新をちょっとサボっていました(笑)今回も3月に訪問した時の記事です。

四条烏丸近辺に行った時に、スグ近くにこちらの神社があったため、少し覗いてみることにしました。

 

神明神社

本当に街中にポツンとある神社で、東隣は台湾料理のお店であったりと周りは建物に囲まれたところにあります。地下鉄や阪急の四条烏丸からもそう遠くは無く、車なら台湾料理のお店東隣がコインPでしたし、もう少し西に行ったところにもコインPがあります。ただ神社の前は西行きの一方通行なのでご注意下さい。

 
御祭神は天照大神で創建は不明。藤原忠通の邸内にあった鎮守の社が神明神社とのこと。こちらには「やじり」が二本伝わっており、源頼政が鵺を退治した際に奉納したものと伝わっているそうです。御神徳は厄除け、火除けの神

鵺(ぬえ)」とは日本で伝承されている妖怪で、頭は猿、尾は蛇、手足は虎と言われ、当時の都を毎夜、騒がせていたらしいです(ちょっと信じがたいですが(笑))

その鵺の退治を命じられたのが源頼政(下記参照)。頼政は鵺の退治前にもこちらへ祈願し、みごとに退治。その時に使用していたと伝えられている二本のやじりは現在も祭礼の時には飾られています。
祭礼日:毎年、九月の第二土曜日及び、その翌日の日曜日

 
※源頼政については下記参照

源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。朝廷で平家が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出して従三位に叙せられ、後世においても、源三位(げんざんみ)の通称が伝わる(同時代的に「源三位」と称された人物は頼政に限らない。)。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。

保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した。だが、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)。出典:ウィキペディア

 
実際に境内に入ってみるとかなり小さいです。入ってスグ右手には手水舎があり、常に水は流れておらず蛇口をひねって出すタイプ。

 
こちらが本殿と思われます。

 
本殿の手前には御朱印も置かれており、ここで頂きますがお金は賽銭箱に入れました。二本のやじりが描かれた御朱印で、サイズがちょっと大きいです。小さめサイズの御朱印帳では収まらないかと思います。

 
※これらの情報は記載時点のものです。

住所 京都市下京区神明町
駐車場 無し



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